越境ECコラム-アメリカの伝説的ギャング アル・カポネの生い立ちとマフィアの歩み

【New York Almanac Vol. 04】アル・カポネの時代とその周辺

伝説的ギャング、その生い立ち

アル・カポネ、本名 Alfonse Caponeといえばアメリカの代表的ギャング。
東映の名作「昭和残侠伝」の高倉健さん風にカポネが仁義を切る。時は1921年頃、場所はシカゴ・ダウンタウン。

「手前、名前の儀はアルフォンス・カポーン。生国(しょうごく)はニューヨーク州ブルックリンです。シープス・ヘッドベイ(Sheepshead Bay)で産湯(うぶゆ)を使い幼少からの悪ふざけ、ビー玉、メンコに小競り合い、日がな一日あきもせず。親は堅気、ありきたりの小商い。何の因果かこの子が不憫末は見えたと投げたさじ、しがない親不幸者です。14歳のおり、喧嘩がもとの退学処分。17歳の年に「ジェームズ通り青年団」(James Street Gang)の小頭で、泣く子も黙る暴れ者、縁ありましてジョニー・トリオ(Johnny Torrio)親分の盃を頂戴しお世話になっております。行く末万端昵懇に願います。」

アメリカ禁酒法時代に中西部の大都市シカゴを中心に大暴れをした「スカーフェイス」、アル・カポネは生まれも育ちも我が町ニューヨークである。ブルックリンで生まれ、川向こう(The East River)がマンハッタン。この地帯を根城に極道の限りを尽くした。
成人になるかならずで、ニューヨーク時代のボス、ジョニー・トリオに誘われシカゴに移り、その世界で功なり名を遂げたエリートやくざである。
ギャングはジョニー・トリオやアル・カポネに限らない。当時、この程度の極道非道はニューヨークでもシカゴでも掃いて捨てるほどいた。そして、それぞれがいつかは大親分にと覇権を争っていたのである。

カポネの「組織論」と、その源流

アル・カポネが頭角を現した理由はジョニー・トリオの「組織論」と米国「禁酒法」というまたとない時宜を得たことによる。

彼の師匠ジョニー・トリオは暴力組織を法人格まで引きあげた最初のアメリカのやくざといえるかも知れない。彼は暴力を全面否定はしないが、同時に世間に尊敬されるような営利組織を作ることに腐心をしていたという。
ジョニーの「仕事と組織」の後継者として、彼の精神を具体化し、法人格をさらに堅固にしたのはカポネその人である。

ニューヨークギャングの歩み

ニューヨークギャングの歴史も米国の成り立ちに深く根ざしている。アメリカ史をカポネの時代から少しさかのぼる。
時は1840年代、母国がジャガイモ大不作の飢饉(Irish Potato Famine)に見舞われたため大量のアイルランド人が新大陸アメリカを目指した。その中でも一番の包容力を持った町が、言わずと知れたニューヨークである。
この飢饉の時代に65万のアイルランド人がニューヨークの港に着いたと歴史書にある。1850年にはアメリカのアイルランド系人口は本国のアイルランドを超えていた。
当時の全アメリカへの移民の43%がアイルランド人であったという。いかに多くのアイルランド人が一気にアメリカに移住したかがわかる。

マフィアの潮流

さて、移住者は夢を追い、仕事を求めてやってくる。新移入者が新しい土地で頼るのは、先に到着している兄弟親戚、同じ町の出身者と相場は決まっている。知人親戚のない無手勝流移住者は、「アイルランド人である」というアイデンティティーだけが頼りの綱だ。
「魚心あれば水心」と日本では言う。マーティン・スコセッシ督監の映画、“Gangs of New York”をご覧あれ。その間の事情が事細かに描かれている。
いわゆる先住者が身寄りのない同郷のものを搾取するのである。食料品の売買、洗濯屋、その日の手間賃仕事まで「先住者のボス」を通して行われる。
これらの「ボス」の中にはニューヨーク市政に進出、収賄、物資の横流しと、ありとあらゆる悪事で私服を肥やしたアイルランド出身者もいる。「初期マフィアの出現」である。
その後ドイツ、イタリア、第二次大戦後のユダヤ人と大量移民がやって来る。それぞれの人種がマフィア集団を作っているといえる。

わが町ニューヨーク出身のアル・カポネはこういう移民の町に生まれたイタリアン仇花(あだばな)である。その血筋故に豪華絢爛に咲いて短命に終わった。

最近マンハッタンのリトル・イタリーがチャイナ・タウンに侵食されているという。いつの世も時代は移り、祇園精舎の鐘の声が響き諸行は無常である。

執筆者プロフィール

今井 卓実

株式会社エスプール
顧問 今井 卓実 

【経歴】
慶応義塾大学文学部卒業後、近鉄航空貨物株式会社(現近鉄エクスプレス)に入社する。1976年、米国法人Kintetsu World Express(U.S.A.),Inc.に出向し、以後米国に移住して、達意の英語を駆使して営業活動を行なう。1987年日本本社に帰任し、本社国際部・経営企画部に配属される。1996年、再度、近鉄エクスプレス米国本社に赴任し、総務・人事・法務担当取締役に就任する。2007年、同社を退職後、現在に至る。滞米生活30年。

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